国連の性格 3

「国連の創始者が意図した国連」とは、まさにアメリカが指導権を発揮する国連であるということは、以上の経緯を踏まえれば明らかでしょう。


国連の性格という点でさらに指摘しておきたいことは・・・


国際社会の平和と安全を確保する上では、大国が国連に協力することが不可欠であることが、連盟の失敗の記憶がなお新しい当時はよく理解されていたということに係わっています。


5大国は、国連憲章採択に至る過程でその影響力を十二分に行使し、大国の発言権を確保する趣旨に貫かれていた原案に対して修正の動きが現れると、団結して対抗しました。


・・・しかしだからといって、中小国が全く無力だったということではありません。


これら諸国は、サンフランシスコ会議で、大国指導で作られた憲章原案に積極的に修正案を出し、討議にも積極的に加わりました。


中小国は、大国の指導権に正面から挑戦するということではなく、むしろその原則を受け入れた上で、大国が国際関係を牛耳る可能性を押え込むことを狙っていたのです。

国連の性格 2

ソ連のスターリンも、ルーズベルトに対しては敬意を払っていたことが伝えられています。


(例えば、ソ連外交に長い間影響力を持ったグロムイコの回想録)。


・・・さらに無視できない要素としては、アメリカが参加しなかったことによって連盟の機能と権威が大きく損なわれたという意識が、各国の行動に影響を与えたということが指摘されます。


つまり、アメリカの国連への参加を確保する必要があるという考慮があったために、各国はアメリカの提案をなるべく受け入れるようになったというわけです。


湾岸戦争に際してアメリカのブッシュ大統領は、国連(安保理)決議に基づいて行われる湾岸戦争が勝利を収めれば、「国連の創始者が意図した国連の姿が再び立ち現れる」といいました。


湾岸戦争の勝利を受けて開かれた91年の先進国首脳会議(ロンドン・サミット)の政治宣言は、「創始者の意志に沿った国連の役割」の回復を高らかに宣言しました。


国連の性格

当時においても、国連と連盟との間に実質的に深い関係があることについては広く認められていました。


・・・それにもかかわらず、国連は、連盟とは全く異なる新しい機構であるとする主張が行われたのは、国連で有力な地位を占めることになっていたソ連が連盟に対して不信や怒りを持っていたことを配慮する必要があったという事情がありました。


また、連盟に加わることを拒否してきたアメリカが参加しやすいようにするためにも、国連と連盟とは別物であるということを強調する必要もあったといわれています。


さらにまた、失敗に終った連盟とのつながりを意識的に断ち切ることによって、国連の将来に明るい見通しを与えようとする考慮も働いていた、ということを指摘する人もあります。


国連の性格という点で次に指摘しておく必要があることは、国連がアメリカの強力な指導力の下で形成されたということに深い関係があります。


国連がアメリカの強い影響の下にあったという背景には、アメリカの経済的、軍事的実力がものをいったことはもちろんです。


また、ルーズベルト大統領の世界的威信が大きく働いていたという事情もありました。

国際社会における日本政府の立場

条項を削除することを日本が求めるとすれば、皮肉な見方をする国があれば・・・


「では、戦前の日本軍国主義の責任について回避的な立場をとる日本政府の立場を是正するために、国連として取り組むことを可能にすることになる」


・・・として歓迎することになりかねないのです。


これは半ば冗談ですが、それほどに日本政府の行っていることは愚劣なことなのです。


各国の不信と警戒を招くというのは、そういう要求を掲げる日本が同時に、大国として安全保障理事会の常任理事国になりたいという要求をちらつかせていることとダブって映るからです。


要するに日本は、大国の地位を国連の場で獲得することにのみ関心があり・・・


そのためには他の国家の気持ちには全く無関心であるというふうに受け止められるということです。

日本の輸入と輸出 4

具体的に問題となるのは、特定国からその被害についての苦情申し立てがあった場合であり、そのときはじめてガット第22条に基づく協議または第23条に基づく紛争処理の手続きがとられることになります。


このようにガットは残存輸入制限については当事者主義をとっており、その点では一般の国内法の場合とは大きく違っています。


日本農業の場合、従来、以上の残存輸入制限に基づく国境調整がかなりの数にのぼっていました。


農林水産物の残存輸入制限品目は1962年の81品目から72年の23品目へと60年代に顕著に減少しますが、その後70年代に下って横ばいが続いています。


世界農産物市場の好調の影にかくれて、日本農業の残存輸入制限が外国からあまり問題にされずにすんだのです。


それが80年代に入ると一転して日米経済摩擦の対象とされ、両国の交渉の結果91年までには牛肉、オレンジ、果汁、ぶどう糖などll品目が自由化することが決定されました。


したがって、91年以降残存輸入制限品目として残るのは、水産物を除けば米粉、米ミール、脱脂粉乳等、クリーム、でん粉、雑豆、らっかせい、こんにゃくいもの8品目にすぎなくなります。

日本の輸入と輸出 3

こうした方式によれば、輸入小麦の売渡価格はその買入価格との関連を完全に切断され、その利益は国内産小麦の売渡価格の引下げにあてられることになります。


内外麦価格をプールすることで、内麦の売渡価格をできるだけ引下げ、外麦の売渡価格をできるだけ引上げようとしているのです。


以上を88年度について図示したのがあります。


輸入小麦はトン当りコスト価格35、886円、売渡価格75、544円で、差引き39、658円の大幅な黒字を出しているのに対して、国内小麦はコスト価格!98、183円、売渡価格60、433円で、差引き132、750円の大赤字となっています。


5倍を超える大幅な内外価格差が、こうした財政操作によって平準化され、調整されているのです。


それは実質的には400%近い高関税を課したのと同じであり、国家貿易による最大の保護効果はまさに以上の点にあります。


まずは残存輸入制限。


ガット上は非合法ではありますが、慣行的に輸入数量制限が黙認されているのが残存輸入制限です。


ガットはこれに通報義務を課すだけで、それ以上の制度的措置を用意していません。

日本の輸入と輸出 2

脱脂粉乳・バターの場合には国内市況によって輸入量は大きく変動します。


たとえば88年には脱脂粉乳2万トン、バター2万トンの輸入が行なわれており、前者は国内生産の1割強に、後者は同じく3割弱にあたっています。


・・・以上のように輸入数量のきめ方は、米のような全面禁止のものから、小麦のような圧倒的な輸入依存のものにいたるまでさまざまですが、いずれの場合にもまず国内生産に優先度が与えられていることには変わりがありません。


次に、価格についてはどうでしょうか。


米については輸入がないし、脱脂粉乳・バターについては輸入の基準となる安定指標価格が定められているから売渡価格もほぼ自動的にその周辺に落着きます。


問題は小麦です。


小麦の場合には、いわゆる内外麦コストプール方式に基づいて全体の平均価格が算出され、次いで用途、品質、歩留り率などを考慮して内麦と外麦の価格差をはじき出すという形で、輸入小麦の売渡価格が決定されるのです。

日本の輸入と輸出

国家が貿易を一元的に管理し、海外からの影響を完全に遮断することによって、対外・対内政策を一体化した形で価格政策が運営されています。


その結果、これら国家貿易品の輸入数量・売渡価格はもっぱら国内政策との関連できめられることとなります。


それでは、それらは具体的にどうなっているのでしょうか。


まず、輸入数量についてみると・・・


1.国内自給を基本とするもの・・・米


2.国内供給を優先し不足分を輸入するもの・・・小麦


3.一定の価格基準を定め価格高騰時にのみ輸入するもの・・・脱脂粉乳・バター等


・・・という三つのタイプがあります。


米の場合には国内米の生産が過剰で生産調整を実施していることを理由に、現在輸入はまったく行なわれていません。


これに対して、小麦の場合には総需要見込量から国内生産見込み数量を差引き、残りが輸入数量にあてられています。


ちなみに1989年の小麦の総需要量469万トン、うち国内生産81万トン、輸入388万トンであり、輸入が8割強を占めています。

ミケネ美術 4

クレタを率直に模倣しながらもこの結果は、前にふれたように、ミケネ人は自身の美意識をもっていて、それが彼らの美術を支えたのではないでしょうか。


・・・そのことを注意すると、彼らは図案化に成功しています。


ティリンスの大メガロンの床のタコとイカ、また小メガロンの花はその例でしょう。


生命を抜いた生物は自由に変形することができるからです。


この場合にミケネ人は一種の好みというか癖をもっています。


それは左右対称ということ。


運動に生命をみたクレタ人は、シンメトリカルにならないように注意をはらっていました。


ティリンスではタコは8本の脚を左右対称にひろげるし、飛びはねるイルカは2匹を背合せで一組にしました。


ミケネ人には安定が重要だったのです。


左右対称はその一例であって、さきにかかげた戦士や馬についても、動いていてもなお脚は地についています。


ミケネ美術 3

このことは「ティリンスの官女」についてもふれましたが、他の壁画についても共通しています。


形式化と類型化はミケネ壁画に流れる傾向です。


したがっ、てその人物も動物もクレタのような新鮮な生命の訴えはないし、また軽快な動きはなくぎこちないものです。


自然主義が後退したときは形式化するのは当然ですが、また表象化の傾向があらわれます。


抽象化するのです。


それは当時の宮殿式陶器にあって植物が示すのと同じです。


色彩もまた自然から遠ざかっています。


クレタの明るく繊細な色彩は濁りまた単純になります。


ティリンスの猪狩図の猪も犬もその表現はともかく犬の斑点は紅と青という不自然さですし、女性の服装の色はニュアンスを忘れ、中間色の美しさを知りません。


このように表現にも彩色にも自然を忠実に写すことをおろそかにするとき、線も変質します。


対象の生命に共鳴するクレタ画家は、その輪郭線や細部をあらわす線に強弱をつけていました。


ミケネ画家の線はどこでも一定の太さの線であり、硬化しています。


このようにミケネ人の表現力は退化しています。


・・・しかし崩れてしまうことはなかったのです。